渋谷駅前のんべい横丁酒処「水車」
おかげさまで創業48年。銘酒と心づくしのお料理を用意してお待ちしています
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お二階で飲み放題いかがでしょう。
 7月より、お店の二階にて飲み放題プランを始めます。
 
 お一人様2,500円。
 3時間飲み放題(ラストオーダー 30分前)
 3名~7名ぐらいまで、ご利用いただけます。

 お料理は別途ご注文願います。

 ご利用のほどよろしくお願い申し上げます。

第47回 「のんべい横丁」は、懐かしい裏町の雰囲気が…
 繁華街には、表通りがあって裏通りがあります。

 戦後は、表通りでも家も建たない屋台の町でした。三畳程度の屋台が軒を連ね、色々な商売をしていました。

 戦後すぐは本当に混乱の時代で、めちゃくちゃでした。あくどいやり方をしていたお店もありました。池袋、新宿、渋谷など駅前は何処もそうでした。

 新宿には、どぶろくを売る人たちがいました。流しの人たちもいました。流しは今やユーセンに取って代わってしまわれました。

 いつしか表通りは立派な建物が並ぶようになって、裏通りにのんべい横丁のような飲食街ができました。
裏通りをよく表現した「裏町人生」という曲があります。

 暗い浮世の この裏町を
 覗く冷たい こぼれ陽よ
 なまじかけるな 薄情け

 裏町とは、そんな場所です。

 お店の人たちは、明るい笑顔でお店に立っていますが、それなりの人生があって此処に来ている人たちで、皆一人で戦っています。

 私が渋谷に出て来た頃は、町はだいぶ良くなってきていました。昭和29年頃かと思います。その頃からは、きれいで安全で、いい方へいい方へと変わっていきました。客層も良くなってきて人生の刺激もありました。

 私がいた渋谷の小料理屋さんは、お給料は安かったですが、とても良い修行になりました。環境が良くてお給料が良い所はないですね。

 昔の渋谷は暗い街でしたが、とても品の良い街でした。今は30代の方が多く、明るい若者の町ですね。

 「裏町人生」の4番はこうです。

 霧の深さに 隠れて泣いた
 夢が一つの 想い出さ
 泣いて泪が 枯れたなら
 明日の光りを 胸に抱く

 とてもロマンチックですね。

 そんな時代が懐かしくも思います。時代は変化していきますね。変化があっていいのだと思います。

 未来を生きるために、皆さん努力しているのですから。


第46回 大空襲で学んだ避難の大切さ
 相変わらず地震は多いですね。

 お店にいて地震が起きたときは、まず戸を開けます。
 そして、線路の下のトンネルの入り口の手前あたりに逃げるようにしています。地震など何か起きたときには、安全な逃げる場所を前もって考えておくことが必要だと思っております。

 3.11の際にあるおばあさんが、地震が来たから「すぐ津波が来るから逃げよう」と言ったそうですが、周りの人たちは「大丈夫だよ」と言って逃げ後れてしまったという話を聞きました。

 私は大空襲のときに、近所のおばさんと彼女の子供二人を連れて一緒に逃げて助かった経験があります。火がそこまで追いかけて来ていたときです。
 おばさんと二人の子供が力尽きて座り込み、逃げることを諦めかけて「先に逃げて」と言われたときに「私が二人を連れていくから一緒に逃げましょう」とおばさんに声をかけました。すると、おばさんは我に返ったので、私は子供たちを連れて一緒に逃げました。

 そのときの状況と経験から、とっさに判断して逃げた方向も良く助かりました。私もくじけていたら、きっと死んでいたことでしょう。

 津波が来ると言ったおばあさんも経験をしていると思います。知っている人たちの言うことを聞くことが大切です。

 そして「逃げること」が大切で、必要です。何か起こったときに、今の若い人たちには逃げることの大切さを知ってもらいたいと思っています。同時に助け合いも必要です。

 ただ、アルバイトの方たちには、地震が起きたときには自分だけでもいいから逃げて、と教えています。また、通りで地震に合った場合には、一番しっかりしたビルに入り込み、様子をみながら逃げなさい、と教えています。

 普段から、そういった知識を持っていることが大切です。
 適切な場所に避難をすることです。


挫けないのが、私の意地です。
 お店でお掃除をしてて腰を痛めてしまいました。骨折をしていたようです。今月は取材が立て続けにいくつかあって、疲れがドッと出たのかもしれません。

 今回で三度目。最初は、横丁の通りでスッテンコロリンをして腰を打ちました。二度目は、やっぱりお店の掃除をしていたときに、腰にきたようです。今年の冬には雪の日に滑って転んだこともありました。3回も腰に負担をかけたことで、圧迫骨折になってしまいました。

 お店を一人でやっていると、やらなければならないことがいっぱいあります。お花見にも行けませんでした。

 一人ですし、一心に頑張りながら商売をしております。私の意地でしょうか。前向きに頑張るほかないのです。

 一人で生きて行くことは、意思の強さの現れなのでしょうね。それは、戦争を引きずっているからだとも思います。

 有名なお医者さんに診ていただいて、なんとか回復のめども立ちました。お陰様でアルバイトの方たちなど、皆さんの協力もあってお店を休まず何とかやり遂げています。
 人生は捨てたものじゃないですね。

 痛みもビールを飲むと不思議と飛んで行きます。皆さんまたぜひ、お出かけください。


第45回 スイスの人も尊敬する天皇陛下
 先日、スイスからのお客様が見えました。日本に観光に来ているという4人組で、お一人は日本からスイスへ嫁がれた方でした。

 2月にスイスの大統領が来日されたそうで、天皇陛下が、それはそれは素晴らしい歓迎をなさって、そのおもてなしがスイスでは大好評になっている、とのことでした。

 聞けば、今年はスイスと日本が国交を開始してから150周年という記念すべき年なのですね。スイスでも日本でも、関連したさまざまなイベントが催されているそうです。

 それにしても、天皇両陛下はとても素晴らしいですね。
 先月は、皇居内の桜を見せて下さったり、優しいお人柄を感じます。自分たちばかりが独り占めして見るのではなく、みんなに見せたいという想いが伝わってきます。

 こうして国と国が仲良くしていけるのも天皇家があるからなのではないでしょうか。スイスの人たちは皆さん、日本の天皇家を尊敬していると仰っていました。スイスという国は平和主義で、戦争など全くしたくない国だそうです。

 こういったお話を聞くと、天皇家があるからこそ今の日本は安定しているのかもしれません。

 平和への近道は、戦争などを繰り返すことなく、時間はかかっても国と国とがこのように歴史を少しずつ築いていくということではないでしょうか。


第44回 闇夜に咲いた白いバラ
 「闇夜に咲いた白いバラ
今宵もそっと散っていく」
 私の心に詩が浮かびました。

今でも忘れることはない、20歳のときでした。
 赤いバラにはならない、結ばれない恋をしていました。

 戦争後、家を出て一人歩きをして何とかお店をだそうと頑張っているときです。家出をして行くところもなく、働いている小料理屋さんに住まわせてもらいました。20代の青春のときでした。

 好きで好きで毎日でも顔を見たいけれど、自分には生活がありました。お互い好きでも生活の道を立てなければなりませんでした。20代の初めころから、何が何でもお店を出したいと思っていました。

 今のようにどこでも仕事があるという時代ではありませんでしたから、毎日、働き詰めでした。

 この詩を手紙にしたためて彼に送ると、もっと素直になりなさい、と返事が返ってきました。何とかなったら一緒になりたい、という気持ちでいて、成り行きに任せるほかありませんでした。

 その彼は私が28歳のときに亡くなりました。好きでもなかなか自分の思うようにはならない、それが人生ですね。


第43回 思いやりの心が大切
 「夏は涼しく、冬は温かく、それは何よりのご馳走」

 お店は、そうでないといけない、と大事な人から教わりました。 それは、思いやりの心から来ていると思います。

 思いやりの心がどこから来ているかといえば、私の場合は子供のころの体験が大きいような気がしています。

 太平洋戦争が始まった昭和12年から、小学校では集団登校が始まりました。当時は、集団登校も戦争中の訓練、教育の一つでした。
 近所の子供が集まって一緒に学校に行くのですが、そのときに近所の子供どうしがよく喧嘩をします。そうすると私は、喧嘩の仲裁をして上手にまとめていました。戦争の教育も、思いやりの心を育てた場にもなっていたのではないでしょうか。

 当時は、誰も助けてくれず、明日の命すら分からないような時代でした。自分の身は自分で守るしかなかったのです。でも、いつの世も人は一人では生きては行けないものです。

 戦争中は隣近所が、親兄弟のようなもので毎日助け合って生きていました。助け合いは、自然なことで、そういう風に教育されました。隣の家は、他人とは思えない。

 思いやりとは、人の気持ちが分かることではないでしょうか。また、思いやりといっても、夫婦は夫婦の思いやり、恋人は恋人どうしの思いやり、隣近所の思いやり、とそれぞれ違います。

 夫婦なら、具体的なことでしょうし、恋人どうしなら、厚かましすぎない優しさ、食事でもする? 具合でもわるいの? と、相手が口にしないこと、心が言っていることを感じ取って聞くことです。 
隣近所の人なら、顔を合わせたら挨拶をする、しばらく会わなかったらお元気ですか? 何かあったら言ってくださいね、といったことなのではないでしょうか。

 それぞれ違いますが、夫婦でも、恋人でも隣近所でも同じようにいえることは、「助け合い」だと思います。

 助け合いが、人を思う心を育てるのではないでしょうか。


TBSのNスタに取り上げられました。
 先日3月21日(金)18時にTBSのNスタというニュース・情報番組で、水車が取り上げられました。取材後すぐに放送されることになり、皆様にはキチンとご案内できなかったのですが見てくださった方々、ありがとうございました。

 その後、「見たよ」となじみのお客様が来てくださったり、すごい反響がありました。とても有り難く思っております。 お店の様子と、タクシーに乗って帰る姿など、私の普段の様子も少し映っていたようです。

 皆さんから「どうして教えてくれなかった」などと、お叱りも受けましたが、私自身も自分の姿をテレビで見るのが嫌で全く見ておりません(笑)。

 撮影に来てくださったときのことです。 スタッフの方から「どうしてこの仕事を選んだのですか?」といったようなことを聞かれました。

 私は、どのように答えたかうろ覚えですが、商売や料理を作ることは元々好きでしたが、戦後のことなので好きなこの道しかなかったのかもしれません。渋谷の小料理屋さんで修行もしました。

 その問いにお客様が「それは意地じゃないですか」と言ってくださり、その通りだと感じました。

 何事も続けることが一番難しいことです。

 仕事というのは波瀾万丈。穏やかではありません。大波が来てみたり、静かになったり……。

 若い人たちには「学び」ということを伝えたいです。続けていくなかで、人との出会いがあり、そのなかで人は学んでいくのだと思います。

 だからこそ人生は、出会い、人を大事にすることが必要だと思っています。


「水車」が21日18時15分からTBS「Nスタ」に登場。
 21日(金曜日)18時15分より、TBSニュース・情報番組「Nスタ」で「渋谷のママ」と題されたテーマで「水車」が取り上げられます。

 お店だけでなく、自宅にも取材が入りました。
 夕方に家の玄関を出て、お店のある渋谷へ行くまでの出勤途中の様子から、帰りのタクシーに乗るところまで、ずっとカメラが後を追いかけてきました(笑)。密着取材というのでしょうか。

 お店ではいろいろな料理などもカメラに収めていました。
 お客様たちには、インタビューにもご協力いただきました(ありがとうございました)。Nスタのスタッフの皆さんは何日間かに分けて、いろいろと取材と撮影をしていかれました。

 83歳まで仕事をしていることに興味があるのでしょうか。
 赤い服がいいと気に入ってくださり、赤の服ばかりカメラで撮っていました。

 見所たっぷりの内容になるのではないでしょうか。

 ちょっと恥ずかしいですが、ぜひご覧になってみてください。


水車名物「ひれ酒」はいかが!?
 水車では「ひれ酒」が人気のメニューの一つになっています。

 20年くらい前のことでした。
 とある和食屋さんで出していただいた「ひれ酒」が、とても美味しくて「なんて美味しいひれ酒があるのかしら」と、その味が忘れられませんでした。 そして、私のお店でも出そうと思い立ち、作り方や合う日本酒などを自分で吟味、研究して今の水車の味に落ち着きました。
 日本酒は「爛漫」がとてもよく合います。 マッチでボッと火をつけアルコールを飛ばすのですが、面白い演出にもなってお客様に喜んでいただけます。

 私は、下町育ちなので下町の味が染み込んでいます。 水車では、その下町の味を目指して再現しています。
私なりのこだわりと追求です。

 それを皆さんが美味しいと言ってくださることが何よりの喜びです。




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