渋谷駅前のんべい横丁酒処「水車」
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第42回 軍国主義下の愛国教育
 終戦直前の昭和20年3月10日の大空襲で東京の下町は焼け野原になりました。

 父と私は埼玉・和光市に疎開していたのですが、戦争も落ち着きを見せていたため父の仕事柄一時的に亀戸の長屋に住んでいました。ちょうどそのとき大空襲にあいました。そして大空襲後、和光市から世田谷の瀬田に移り住みました。


 その頃の用賀辺りは、東條内閣総理大臣とその家族や小学校の副校長先生などが住んでいました。世田谷は畑と森ばかりで、きっと安全地帯だったのだと思います。長崎の森という何万坪の森林もありました。住宅地で酒屋さんや米屋さん、ミシン屋さんなどが軒を連ねる昔からの商店街があり、落ち着いた町でした。疎開者の人たちも多く住んでいました。

 電車が通っていて、徳川家のお屋敷もありました。何もない畑や森などの場所や、由緒ある場所には焼夷弾などは落とされることはありませんでした。アメリカは無駄なことはしなかったのだと思います。

 東條さんは、3日に1日は朝礼台に上って生徒を教育していました。
 鉄棒や長刀を習わされたり、「愛国の花」という歌のお遊戯をしたり、新しい学校が建てられ、立派なプールもできました。何年もかかって、子供たちを訓練していたのだと思います。

 私は小学生でしたが、子供ながらにその変化に気がつきました。変化は感じていましたが、当時は学校の教育はそういうものだと思っていました。今思えば、そういったこと全てが計画的だったのだと思います。

 これからは、そんな時代がないように願うばかりです。
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