渋谷駅前のんべい横丁酒処「水車」
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第26回 つらかった疎開時代
 和光市にある母の実家の叔母は、今年で100歳になりました。美人で気品があって、いつも凛とした明るい人です。昔から家に叔母がいるだけで花でした。

 戦争中、東京亀戸にいた私たちは、一週間以内に強制疎開をするようにと国から言われ、和光市の母の実家に疎開しました。女中さんはみんな、挺身隊に行ってしまい、私が手伝いながらの生活でした。

 車もない時代でしたので、私は自転車を習いました。荒川の土手から何回も落ちたり、大変でした。やっと乗れるようになってからは、何処にお使いに行くのも楽になりました。

 お庭の掃き掃除もしました。朝6時に起きて、1500坪(一町四方)と言われた庭を1時間かけて掃きました。掃除をしているとき、真っ赤なトマトが庭に1個なっていて、その赤のあまりの美しさに見とれていました。私はトマトとコンニャクが大嫌いでしたが、そのトマトの美しさに箒の手も止まり、何もかも忘れて見ていましたら、叔母が、私の後ろにジッと立っていたことを今でもトマトを見るたびに思い出します。

 そのくらい厳しい時代だったのです。お風呂に入るときも、祖父からはお風呂代を払うようにと言われました。今でも涙で原稿用紙が濡れて、書くことができません。

 祖父に「そろそろ東京も落ち着いたようだから、帰ったらいいではないか」と言われ、すぐ亀戸に家を借りて、戻りました。
しかし、間もなく亀戸で3月9日の夜からの大空襲に合いました。2日後、和光市に帰りましたが、祖父は本家のおばあさんから「何で亀戸に帰したのだ」と大変怒られたそうです。

 私が、元気で帰ったのが大空襲後2日目です。それから祖父は優しくなりました。

 戦争とは人を不幸せにしますね。
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