渋谷駅前のんべい横丁酒処「水車」
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第24回 母と祖母の想い出
 私の母は、明治36年生まれです。現在の和光市白子で生まれ育ち、女学校は本郷の錦秋高等女学校出身でした。

 女学校時代は、寄宿舎に入っていて、一週間に一度家に帰る日、東上線の成増駅から歩いて帰ると、いくら歩いても歩いても家に着かず、キツネやタヌキが出てなかなか家に帰れなかったといいます。若い衆さんが心配して、提灯を持って迎えに来ると帰ることが出来た、といった時代だそうです。
 そんな話を母から聞いたことをよく覚えています。


 私の祖母は、埼玉県の藤久保(現入間郡三芳町藤久保)の江原家の生まれです。当時、練馬まで一続きの土地を持っていた大地主だったそうで、そこから和光市の柳下家に嫁いで来ました。とても人柄がよく、人のために尽くした四里四方で聞こえた偉い方だったそうです。

 嫁いだ先は、造り酒屋をしていた柳下の本家でしたが、子どもが出来る前に旦那さんが亡くなり、すぐ近所の分家にあたる祖父の家に嫁いで行きました。
 庭には白子川が流れていて、そこには大きな水車があった小作人がお米をつきにくる家でした。再婚ですので、苦労も多かったと思います。

 祖母は、私が子どもの頃に亡くなりましたが、母が胸膜炎(当時は肋膜炎と言っていました)を患い、東大病院に3ヶ月間入院したときには、祖母は毎日毎日病院に行き、病院の下足番の方など、皆さんに寸志を差し上げたという、有名な一幕もあったと聞いています。家族の愛の絆は、こんなにも強いのですね。

 祖母は私が幼い頃に亡くなりましたので、あまり覚えていませんが、祖母の話を家族から聞いて、祖母のような人になりたいと、今でも思っています。

 母や祖母のことは、よく思い出します。
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