渋谷駅前のんべい横丁酒処「水車」
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第23回 周囲に恵まれた弟の人生
 私の弟は、昭和11年生まれです。
 弟が1才3ヶ月のとき、母が突然くも膜下出血で亡くなりました。弟は、かわいいさかりで、私も大好きでした。母は、無意識におっぱいを出して弟に飲ませようと一生懸命でしたが、その3時間後に息を引き取りました。36歳でした。

 赤ちゃんの弟は、お乳をあまりほしがらなかったのですが、昔は牛乳が手に入らなかったですから、近所の方にお乳を飲ませてもらいに歩きました。

 母の35日の納骨のときに、和光市の祖父の世話で弟を里子に出しました。小学校に上がるまでの条件で、祖父がお世話をしてくれることになりました。

 弟は、食事と環境が変わったせいか、5才のときに急に骨の病気が発見されました。発育盛りのときに、お母さんのお乳が飲めなかったからかもしれません。大学病院での診断の結果、手術を考えたのですが、そうとう高いお金と生死に関わるといわれ、手術は断念しました。

 弟は小学校に入る時期になって、亀戸の家に帰って来ましたが、食事もろくに食べずに泣いてばかりいました。「三度のご飯は食べなくていいから、預けられた先の新倉に帰りたい」、「夜は外に寝てもいいから」と言ってききませんでした。

 そんなとき、里親が亀戸の家の近所に来て、様子を見に来ました。「お金はいらないから、育てさせてください」といわれ、弟を連れて帰ってしまいました。
 「家族から、かわいがってもらえるなら」と、私は思いました。里親も、その後男の子が生まれ、大変だったと思います。

 弟の面倒をみてくれていた和光市の祖父が亡くなり、遺産相続で大変な時期に入り、調停で裁かれたそうですが、私は家を出ていましたので父任せでした。父は欲のない人柄でしたので、祖父の親戚に任せたようです。
 今でいう成増駅近く900坪という土地でした。弟は、里親の判断でお金でもらい、私も兄も何も頂きませんでした。里親は、弟に会社を出してあげたいと思ったのでしょう。

 弟は、55歳のときに脳梗塞で倒れて、入退院を繰り返していました。東所沢病院に5年間入院して、「お姉さんの傍の病院に移してください」と病院からいわれ、三軒茶屋病院に移りました。病院を移ってから6ヶ月。弟は65歳で亡くなりました。それまで面倒をみていました。

 私も家族の犠牲者でした。でも、私は人様に大変恵まれ、とても有り難いと思っています。皆さん、「ママは誰かに守られているのね」、とよくいってくださいます。それは、母のような気もします。

 母が亡くなり、父が亡くなり、兄が亡くなり、弟も亡くなって、あとは自分だけだと思うと、どこかホッとしたところがありました。

 人生誰でも、いろいろなことがあって過ごしていくのだと思います。
 そんな人生ですが、皆さんにとても感謝しています。
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