渋谷駅前のんべい横丁酒処「水車」
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第22回 戦争が影を落とした私の20代
 昭和26年、私が21歳の時でした。慶応大学の英文科出身の方と出会いました。

 彼の伯父さんは九州で高校の先生をしていたので、彼も学校の先生を目指し、九州に一緒に行ってくれないかと言われましたが、私は返事ができませんでした。彼のご両親は、彼に私と結婚しなければ勘当すると言っていたくらい、私は可愛がってもらっていました。

 戦後ということもあって、誰もが落ち着かない時代でした。仕事に就くことは大変で、働くことに精一杯でした。私も結婚ということより、仕事という夢がありましたので、九州に一緒に行くという彼の願いに応えることはできませんでした。

 お互いに愛しながら8年が過ぎていきました。私たち二人とも戦争の犠牲者でした。私が28歳のとき、彼はバイクの事故で即死しました。

 彼は亡くなる10日前、「僕は死ぬかもしれない。そのときは喪服をきちんと着て、白い足袋を履いて、取り乱さないようにしてくれ」と私に言いました。死をどこかで予感し、覚悟していたのかもしれません。

 子供を乳母車に乗せて二人で歩きたい、それが夢だと言って、背広をきちんと着て、わざわざ写真屋さんで撮った写真と、病院で検査をした健康だという証明書を持ってきてプロポーズしてくれました。とてもロマンチックな方でした。

 和光市の母の実家の叔母が、奥座敷の床の間の一輪挿しに活けていた水仙の花がとても好きでした。何にもない部屋に、ぽつんと真っ白な水仙の花が一輪あるのが好きで、当時住んでいた部屋にも飾っていたのですが、彼が初めて部屋に来たとき、それを大変気にいっていたことが、忘れられません。

 彼の死によって、私の20代の青春も終わりました。そして、私の大好きな一輪挿しの白い水仙の花も忘れました。

 父は私に、そんなに好きだったのならどうして一緒にならなかったんだ、と言いました。私には夢がありましたし、彼も大変な時期で、みなさん考えられないようなことが、たくさんありました。経済的に一緒になれるような状況ではありませんでした。

 彼が亡くなった晩のことでした。通夜の客とはよく言ったもので、お通夜に行くと、わんわんないていた女性がいました。どうやら彼の会社がよく使っていた銀座のクラブの女性だったようです。
 彼が亡くなってからしばらくは、彼に女性がいたとしても、彼に辛いことがたくさんあったとしてもいいから、「せめて何処かで生きていてほしかった」と思っていました。

 お互い愛しながらも一緒になれない時代でした。彼もいろいろ悩み、ノイローゼになっていたのだと思います。私たちはいつまでも戦争を引きずっている世代です。拭うことのできない事実がいつもついて回っていました。
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