渋谷駅前のんべい横丁酒処「水車」
おかげさまで創業48年。銘酒と心づくしのお料理を用意してお待ちしています
プロフィール

suisha

Author:suisha
酒処「水車」へようこそ!
03-3407-3694



最近の記事



最近のコメント



FC2カウンター



リンク

このブログをリンクに追加する



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブログ内検索



RSSフィード



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


第11回 叔父の想い出
 昭和20年の終戦の年の11月、和光市の叔父が他界しました。

 私は16歳で、世の中はまだまだ大変な時でした。

 戦争中に叔父が自宅療養していたときには、熱を取るといわれていた馬肉の湿布をいただきに、近所の屠殺場まで自転車で取りに行ったり、叔父が入院していたときには、叔母に頼まれてジャガイモやカボチャを蒸かしたものを毎日、病院に届けたものです。

 戦後も、叔父が熱が出たというと、世田谷の瀬田から和光まで氷を届けによく行き来したものです。

 戦後3~4年経ってからは、徐々に薬も入って来るようになりましたが、 終戦直後は、日本に薬がほとんどないような状態でした。 風邪や結核、淋病などの感染病にはペニシリンが必要でしたが、1本が当時の値段で3千円でしたから、お金のない人は買えずに死んでいくしかない時代でした。

 氷を届けに山坂越えて、田んぼ道を歩き歩きして行ったことをよく覚えています。当時はバスが走っていなかったので、電車で成増駅まで行って、そこから30分くらい歩きました。
最後は、その甲斐も空しく亡くなりました。

 叔父はとても優しく好男子で、私もずいぶん良くしてもらいました。
母が亡くなったとき、小学校2年生だった私にオーバーを買ってくれたのが叔父でした。

 昭和20年という年は、一番大変な年だったと思います。
スポンサーサイト


この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
トラックバックURL
→http://suisha.blog66.fc2.com/tb.php/102-ef62f8e0



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。