渋谷駅前のんべい横丁酒処「水車」
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第46回 大空襲で学んだ避難の大切さ
 相変わらず地震は多いですね。

 お店にいて地震が起きたときは、まず戸を開けます。
 そして、線路の下のトンネルの入り口の手前あたりに逃げるようにしています。地震など何か起きたときには、安全な逃げる場所を前もって考えておくことが必要だと思っております。

 3.11の際にあるおばあさんが、地震が来たから「すぐ津波が来るから逃げよう」と言ったそうですが、周りの人たちは「大丈夫だよ」と言って逃げ後れてしまったという話を聞きました。

 私は大空襲のときに、近所のおばさんと彼女の子供二人を連れて一緒に逃げて助かった経験があります。火がそこまで追いかけて来ていたときです。
 おばさんと二人の子供が力尽きて座り込み、逃げることを諦めかけて「先に逃げて」と言われたときに「私が二人を連れていくから一緒に逃げましょう」とおばさんに声をかけました。すると、おばさんは我に返ったので、私は子供たちを連れて一緒に逃げました。

 そのときの状況と経験から、とっさに判断して逃げた方向も良く助かりました。私もくじけていたら、きっと死んでいたことでしょう。

 津波が来ると言ったおばあさんも経験をしていると思います。知っている人たちの言うことを聞くことが大切です。

 そして「逃げること」が大切で、必要です。何か起こったときに、今の若い人たちには逃げることの大切さを知ってもらいたいと思っています。同時に助け合いも必要です。

 ただ、アルバイトの方たちには、地震が起きたときには自分だけでもいいから逃げて、と教えています。また、通りで地震に合った場合には、一番しっかりしたビルに入り込み、様子をみながら逃げなさい、と教えています。

 普段から、そういった知識を持っていることが大切です。
 適切な場所に避難をすることです。

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挫けないのが、私の意地です。
 お店でお掃除をしてて腰を痛めてしまいました。骨折をしていたようです。今月は取材が立て続けにいくつかあって、疲れがドッと出たのかもしれません。

 今回で三度目。最初は、横丁の通りでスッテンコロリンをして腰を打ちました。二度目は、やっぱりお店の掃除をしていたときに、腰にきたようです。今年の冬には雪の日に滑って転んだこともありました。3回も腰に負担をかけたことで、圧迫骨折になってしまいました。

 お店を一人でやっていると、やらなければならないことがいっぱいあります。お花見にも行けませんでした。

 一人ですし、一心に頑張りながら商売をしております。私の意地でしょうか。前向きに頑張るほかないのです。

 一人で生きて行くことは、意思の強さの現れなのでしょうね。それは、戦争を引きずっているからだとも思います。

 有名なお医者さんに診ていただいて、なんとか回復のめども立ちました。お陰様でアルバイトの方たちなど、皆さんの協力もあってお店を休まず何とかやり遂げています。
 人生は捨てたものじゃないですね。

 痛みもビールを飲むと不思議と飛んで行きます。皆さんまたぜひ、お出かけください。


第45回 スイスの人も尊敬する天皇陛下
 先日、スイスからのお客様が見えました。日本に観光に来ているという4人組で、お一人は日本からスイスへ嫁がれた方でした。

 2月にスイスの大統領が来日されたそうで、天皇陛下が、それはそれは素晴らしい歓迎をなさって、そのおもてなしがスイスでは大好評になっている、とのことでした。

 聞けば、今年はスイスと日本が国交を開始してから150周年という記念すべき年なのですね。スイスでも日本でも、関連したさまざまなイベントが催されているそうです。

 それにしても、天皇両陛下はとても素晴らしいですね。
 先月は、皇居内の桜を見せて下さったり、優しいお人柄を感じます。自分たちばかりが独り占めして見るのではなく、みんなに見せたいという想いが伝わってきます。

 こうして国と国が仲良くしていけるのも天皇家があるからなのではないでしょうか。スイスの人たちは皆さん、日本の天皇家を尊敬していると仰っていました。スイスという国は平和主義で、戦争など全くしたくない国だそうです。

 こういったお話を聞くと、天皇家があるからこそ今の日本は安定しているのかもしれません。

 平和への近道は、戦争などを繰り返すことなく、時間はかかっても国と国とがこのように歴史を少しずつ築いていくということではないでしょうか。


第44回 闇夜に咲いた白いバラ
 「闇夜に咲いた白いバラ
今宵もそっと散っていく」
 私の心に詩が浮かびました。

今でも忘れることはない、20歳のときでした。
 赤いバラにはならない、結ばれない恋をしていました。

 戦争後、家を出て一人歩きをして何とかお店をだそうと頑張っているときです。家出をして行くところもなく、働いている小料理屋さんに住まわせてもらいました。20代の青春のときでした。

 好きで好きで毎日でも顔を見たいけれど、自分には生活がありました。お互い好きでも生活の道を立てなければなりませんでした。20代の初めころから、何が何でもお店を出したいと思っていました。

 今のようにどこでも仕事があるという時代ではありませんでしたから、毎日、働き詰めでした。

 この詩を手紙にしたためて彼に送ると、もっと素直になりなさい、と返事が返ってきました。何とかなったら一緒になりたい、という気持ちでいて、成り行きに任せるほかありませんでした。

 その彼は私が28歳のときに亡くなりました。好きでもなかなか自分の思うようにはならない、それが人生ですね。


第43回 思いやりの心が大切
 「夏は涼しく、冬は温かく、それは何よりのご馳走」

 お店は、そうでないといけない、と大事な人から教わりました。 それは、思いやりの心から来ていると思います。

 思いやりの心がどこから来ているかといえば、私の場合は子供のころの体験が大きいような気がしています。

 太平洋戦争が始まった昭和12年から、小学校では集団登校が始まりました。当時は、集団登校も戦争中の訓練、教育の一つでした。
 近所の子供が集まって一緒に学校に行くのですが、そのときに近所の子供どうしがよく喧嘩をします。そうすると私は、喧嘩の仲裁をして上手にまとめていました。戦争の教育も、思いやりの心を育てた場にもなっていたのではないでしょうか。

 当時は、誰も助けてくれず、明日の命すら分からないような時代でした。自分の身は自分で守るしかなかったのです。でも、いつの世も人は一人では生きては行けないものです。

 戦争中は隣近所が、親兄弟のようなもので毎日助け合って生きていました。助け合いは、自然なことで、そういう風に教育されました。隣の家は、他人とは思えない。

 思いやりとは、人の気持ちが分かることではないでしょうか。また、思いやりといっても、夫婦は夫婦の思いやり、恋人は恋人どうしの思いやり、隣近所の思いやり、とそれぞれ違います。

 夫婦なら、具体的なことでしょうし、恋人どうしなら、厚かましすぎない優しさ、食事でもする? 具合でもわるいの? と、相手が口にしないこと、心が言っていることを感じ取って聞くことです。 
隣近所の人なら、顔を合わせたら挨拶をする、しばらく会わなかったらお元気ですか? 何かあったら言ってくださいね、といったことなのではないでしょうか。

 それぞれ違いますが、夫婦でも、恋人でも隣近所でも同じようにいえることは、「助け合い」だと思います。

 助け合いが、人を思う心を育てるのではないでしょうか。




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