渋谷駅前のんべい横丁酒処「水車」
おかげさまで創業48年。銘酒と心づくしのお料理を用意してお待ちしています
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第3回 小さい頃の思い出
 私の生まれた下町は、お稽古ごとの盛んなところでした。
 私は4歳から山田流筝曲を学びました。師匠師範は父の姪にあたる間瀬時子に教えてもらいました。彼女は府立第七高等女学校卒の優等生でした。
 子供の私でしたが、お稽古の厳しい中、耐えることを母から教わりました。

 私が育ったころは長男が一番大事にされた時代です。母は「女の子は女学校を卒業したら、お嫁に行くのだから」といつも言っていました。私は悲しくなって、母に甘えたくてわざと耳が痛いとか言って、おんぶされて夜でもお医者さんに行ったものです。帰りに露天でおもちゃを買ってもらえてうれしかったことを憶えています。

 亀戸天神は学問の神様です。年に3回、お正月、お盆、お祭りのときに、長いたもとの着物姿で必ずお参りに行きました。太鼓橋を渡るのですが、ちょっと怖いけどそれがうれしくて登り降りするのが楽しみでした。帰りには近所の氏神様である香取神社にもお参りしました。

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第2回 母の死。
 私は昭和5年、今の江東区亀戸で生まれました。父とは母は名門血筋同士でお見合い結婚をしました。
 父は米穀商を営み、人望のあつい人でした。兄と弟二人と私の5人の幸せな家族でした。
 しかし、昭和13年1月15日午後11時に突然、母が倒れ、36歳の若さで他界いたしました。父は途方にくれたそうです。12歳になった兄は午前3時に親戚に知らせに行きました。母の死を感じとっていたようで、さすがに男の子だけあると、思い出すたびに涙が出ます。
 母は大勢の方に見送られて荼毘にふされました。
 赤ちゃんだった弟の方は、和光市の祖父のお世話で里子に出され、兄と私は父の店を手伝いながら、学校へ通うという毎日で、一生懸命に生きた日々でした。



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